包括的支援体制及び重層的支援体制整備事業の停滞要因に関する一考察
「縦割りの打破」が招く新たな孤立と丸投げの構造を中心に
要旨
本レポートでは、2021年に創設された「重層的支援体制整備事業」が、理念である「制度の縦割り打破」を実現する一方で、なぜ現場での停滞や「支援の空転」を招いているのかを、先行研究および組織構造の観点から考察しました。
分析の結果、事業がうまくいかない主要な要因は、既存の専門機関による「専門性の防衛」と、多機関協働事業への「困難事例の投げ込み(ダンプアップ)」にあることが明らかとなりました。
このメカニズムを打破するために
従来の「役割分担」から、互いの専門性を重ね合わせる「力合わせ」へのパラダイムシフトが不可欠です。
本人がありのままでいられる地域づくりと、解決を急がない対話の場を維持することこそが、真の包括的支援体制を支える基盤となります。
第1章
はじめに
1.1 本レポートの目的
2021年の社会福祉法改正により、属性を問わない「包括的支援体制」の実装手段として「重層的支援体制整備事業」が創設されました。しかし、現場では「事務の煩雑化」や「多機関協働の形骸化」が指摘されています。

本レポートでは、この停滞の要因を構造的に分析し、解決への指針を提示します。
1.2 先行研究の概観
包括的支援に関する議論は多岐にわたります。
原田(2019)
現代の福祉課題は「制度の重複」によって生じているとし、既存の専門性をいかに「つなぎ直すか」というガバナンスの重要性を論じています。
川島(2021)
多機関連携における組織間の「文化」や「言語」の相違が協働の障壁となる点を指摘しました。
野口(2022)
自治体の規模や既存の社会資源による実装の格差を明らかにしています。
第2章
重層的支援体制整備事業の到達点と先行事例
事業の構成と先行事例
本事業は、相談支援、参加支援、地域づくり支援、アウトリーチ、多機関協働の5事業を一体的に実施します。
成功を収めている大阪府豊中市や滋賀県野洲市等の先行事例では、首長の強いコミットメントのもと、部局を越えた情報基盤が整備されており、単なる窓口設置に留まらない「実質的な実装」が行われています。
第3章
なぜ「うまくいかない」のか
構造的・運用的課題
停滞の要因
第一の要因
事務手続きの煩雑化
交付金の一本化が図られたものの、予算管理の区分は依然として残り、現場の事務負担は軽減されていません。
第二の要因
「出口(参加支援)」の不足
相談を受けても、本人が通える居場所や就労先が地域にないため、支援が「入り口」で滞留しています。
第4章
失敗のメカニズム
「丸投げ」と責任の霧散
核心的要因:ダンプアップ現象
本事業が機能不全に陥る核心的要因は、「多機関協働事業」におけるダンプアップ現象です。
4.1 専門性の罠と防衛的排除
各専門機関は、自らの根拠法に基づく役割をアイデンティティとします。
川島(2021)が指摘するように、困難事例に際して各機関が「専門外」を理由に役割を限定する「防衛的排除」が働きます。
結果として最も立場の弱い重層担当部署へ全ての責任が「丸投げ」される
4.2 組織文化の衝突
福祉・教育・税務など、異なる「正義」を持つ部局間では、合意形成が困難です。
共通の目標を持たない会議
単なる情報共有に終始
具体的なタスクが割り振られない
「責任の霧散」を引き起こす
第5章
考察
真の包括的支援体制に向けた提言
停滞を打破するための4つの提言
以下の4点を提言します。
01
「波長合わせ」と共通言語の確立
02
役割分担から「力合わせ」へ
03
支援の「受け皿」としての地域づくり
04
解決ではなく「問題を話し合い続ける」
5.1 「波長合わせ」と共通言語の確立
具体的な支援策を論じる前に、関係者間で「本人の安心とは何か」という共通言語を確立する「波長合わせ」を重視すべきです。

5.2 役割分担から「力合わせ」へ
原田(2019)が説くように、境界線を引く「分業」ではなく、互いの専門性を重ねる「力合わせ」への転換が必要です。
5.3 支援の「受け皿」としての地域づくり
藤井(2020)は、孤立問題をコミュニティの希薄化と捉え、住民同士のつながりの再構築を説いています。
支援者が「教える」側、住民が「助けられる」側という関係を超え、住民が役割を持てる「互酬性」の回復(藤井, 2021)が、参加支援の核心となるべきです。
5.4 解決ではなく「問題を話し合い続ける」
穂坂(2020)は、包括的支援においては「解決」を急ぐことよりも、支援者が孤立せずに問題を共有し続ける場を維持することに価値を見出しています。
第6章
おわりに
重層的支援体制整備事業の成否は、制度という「器」ではなく、組織間の「関係性」の質にかかっています。
行政の縦割りを越えたプラットフォームの構築と、地域住民の主体的な参画を促す土壌づくりを並行して進めることこそが、誰もが取り残されない地域共生社会の実現に繋がるのです。

参考文献
  • 厚生労働省『「我が事・丸ごと」地域共生社会実現本部 最終報告』厚生労働省、2017年
  • 原田正樹『地域共生社会への挑戦―「我が事・丸ごと」の地域づくり』中央法規出版、2019年
  • 川島ゆり子『多機関連携のソーシャルワーク:困難事例を抱える組織のダイナミクス』学文社、2021年
  • 野口定男『地域共生社会の構築と社会福祉協議会の役割』中央法規出版、2022年
  • 穂坂光彦『包括的支援体制の構築と自治体福祉経営』ミネルヴァ書房、2020年
  • 藤井博志『地域福祉の思想と実践:つながり・場・仕組みをどう創るか』中央法規出版、2020年
  • 藤井博志『コミュニティソーシャルワークの理論と展開』ミネルヴァ書房、2021年